【インタビュー】ビジョンを共有し、連携し、成功モデルをつくって復興を前に進めたい

(本稿はRCF復興支援チーム藤沢烈氏のインタビューです)

東京の「復興」と現地の「復興」があまりにもかけはなれている

-これまで復興に関する活動を続け、現地も見て政府の立場もある中で、今の課題意識を教えてください。

東京の「復興」と現地の「復興」があまりにもかけはなれている、ということです。それをつなぎあわせるのがすごく大事になっているな、と思います。

東京の復興というと、ハコもの、人工物のイメージがすごく強いという印象です。だから、道路とかは高台移転とかはどんどん話が進んでいく。でも、現地は8割方、漁村農村の世界。だから、住む場所と何をして働くかの二つがテーマだけど、そこの目配せは東京からはできていないです。

住む場所については、東京の人はあらっぽく、「まあ人口も減るんだし、移住すればいいじゃん」という。でもそれって、「日本はもう無理だから中国に移って」というぐらいの話でしかない。移動に対するセンシティビティが低い東京の人たちとは違って、現地の人たちは、土地・集落に対してのこだわりや執着があります。石巻で1万人から回答があった、どこに住んでもいいかというアンケートがあるのですが、市外に行ってもいいというのはたった1%。99%は、隣町にすら行きたくないというのがリアリティです。だから僕としては、もともといた場所に住めるよう最低限のことをする、というので復興はかまわないと思っています。東京の感覚でいうと「復旧」に近いかもしれません。

何をして働くか。そういった集落だと、年金経済圏で地域の経済総生産の3割いくこともあります。その人たちはストックもあるし、あとは彼らへのサービス業、医療や理容などで、年金を持っていない若い人たちが食べていく。あとは地域で1つぐらい名産品があればいいかな、という感じ。復興財源があるから、これから2年間はただで住めるし、雇用にはお金がでる。その間に、その後お金がぱったり止まっても、年金経済圏である程度回るような仕組みを集落、コミュニティごとにつくる。それが当面の標準になるのでは、と思ってます。

-ただしそれも、東京の人が行くと、突然「バイオ産業の拠点をつくろう」とかになることも

そう、メガソーラーとか。雇用というと大体企業を誘致して、という流れになるんですが、どうもそうじゃないと思います。コミュニティがあって、その中で、「こいつ働いてないな」というのがあったら、「うちの畑を手伝ってもらおう」とか「魚取りに行くか」といって、「とりあえず食っとけ」とか。企業の経営上の意思決定というよりは、コミュニティ・ディシジョン。もちろん、イノベーションの話も大切だけど、全体の1割でいいと思います。

―そういった東京と現地のずれって、どこから生じたのでしょう?

メディアでしょう。あまり現地には行かないで報道している。それと、政治家。ほとんど行ってない。あとは官僚の一部も。ソーシャルメディアの論客たちも、現地行かないでいろいろ「日本の復興」とかいってるから、そのへんは相当ずれている感じがします。

ただ、僕は、こういう人たちのことは、何もせず放っておいてもいいという気がしています。僕の問題意識は、今現地に入っている人たちが、もう少し横の連携をしていかないといけない、ということです。

現地で頑張っている人たちが、それぞれの世界観の中で、連携せずに動いてしまっている

―連携ができてないのは、被災地が広いからですか?

それもあると思います。気仙沼、南三陸、石巻、それぞれがあまりに大変だから各地域に入った人はその場のことだけで頭いっぱい。それから「仙台問題」というのがあって。仙台行くと、海外の人と組んでイノベーションを起こして、シリコンバレーっぽくいこう、そういう方向性になる。それはそれであっていいのですが、もう少し連携したら有効になろうだろうと感じます。例えば釜石でも海外とつながってブイヤベース売っていきたいというような人がいるけど、そこと仙台組がつながっていない。もったいないなあ、と。

...世界観がみんな違ってしまっている。それぞれの世界観の中で、連携せずに動いている。今のところ、復興はどうあるべきか、というイデオロギー的なところで、コミュニティベースかイノベーションベースかというグループにわかれてしまって、間に会話がほとんどない状態で、そもそもお互いに知らない。両方大切なのに。

―そういう問題は、どんなところでもある話ですね。企業でも、生産があり、マーケティングがあり、すぐそこにいるし、誰もが連携したほうがいいのはわかっている。でも...。

復興に関していうと、それがいろんなレイヤーであります。行政では、国と県と市町村の間に、それぞれグレートウォールがある。それから、だんだん分かって来たのは、県の中でも、20個ぐらい縦割りになっている。実は県の中では国と市町村との間に壁がある、という意識はなくて、県の中で縦割り、っていう世界の中でやっている。国ってなんでしたっけ、という感じです。復興庁なんてもはや国連のようなもので、「あー、うるさいの来たなー、話し合わなそうー、とりあえず標準語で話しとこうー」といった反応も。

それから、民間同士でも、NPO間でも壁はあります。そんなに大きな話ではなくて、小さい市町の中で「これまで俺たちがやってきたのに、何で急に入ってくるんだ」という縄張り争い。

地域にどっぷりはまることは、現地の感覚を理解するというよさもあるけど、一方でたこつぼ化してしまうという課題があります。僕としては、たこつぼ化している各地の人たちがどうしたらつながるのかを考えています。民間レベルで復興に命かけてやってます、という人たちは現地で1000人ぐらいいると思うのですが、そういう人たちが情報共有をもっとしていけたらいいのではないか。それが一番の問題で、東京の識者がわけわかんないこといっているみたいな話は、正直どうでもいいかな、と思ってます。

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